【往復書簡「本を作ること、生きること」】第5回往路――世界中に、言葉を広げるんだ

岡田さんへ

第4回復路をお送りいただいてからはや16日が経ってしまいました。超速で返信をいただいたのに、申し訳ない。

岡田さんが復路を公開したのが2月13日。いま手帖を見返すと、その日はちょうど、図書出版みぎわの最初の本『世界を文学でどう描けるか』の白焼き戻しの日でした。そこから、書籍完成後の準備、新しい企画の相談、シンポジウムや研究会へに参加したり、HPの手入れ、ショップサイトの立ち上げなどなどしているうちに本の見本が完成、献本したり、出荷の準備をしたりフェアやイベントの準備をしたり追加で営業したり、と過ごしているうちに、2月が終わりました。2月さん、短い……

今週、来週にかけて、注文してくれた全国各地の書店に、本が届きます。いまはその真っただ中。落ち着かないというか、何かやり忘れているものはないか、とか、そわそわしながら過ごしています。


『マーシャル、父の戦場』を刊行した頃がみずき書林の青春時代だった、というのは、当時のことを思い出すだけで、とてもよくわかります。「金ないんだよー」とかぼやきつつも、いつも笑顔だった。みずき書林HPの刊行書籍を見ると、この時はこうだった、この本の時はこんなこと言ってた、という記憶がよみがえります。『マーシャル、父の戦場』がひとつのピークだったのかもしれませんが、それ以降も、進めている企画の話や、刊行する本の話をするときの岡田さんはいつも楽しそうだった。

僕はまだ最初の本がやっと世に送り出せる、というタイミングです。本が完成した後もやることがあれもこれもある、という状況だけど、自分で本を売っていく、ということが、これまで以上にやれている実感があります。本がどの書店に並ぶのかまでほぼ可視化されている。だからこそ、より一冊一冊の注文のありがたさが身に染みるし、置いてもらう以上、こちらも売れるように手を打たねば、と。そしてポップをつくてみたり、なんならポストカード作るか! とか、優先順位がわからなくもなっています苦笑 でもそれもまた、楽しんでいます。

完成書籍と試作中のあれやこれや

さて、僕らの大先輩であり、映画好きのHさんも読んでくださっているとのこと、なんだか背筋が伸びます。フェリーニの「私は生きることより思い出すことの方が好きだ」という言葉は、いろいろ考えさせられますね。僕自身、この往復書簡は、前前職時代を思い出すきっかけになりました。思い出す事の効用のひとつに、過去の自分と現在の自分を結びつけることができる点があげられるかもしれません。どうしたって、思い出す、という行為には、現在の自分、という主体が切り離せません。いま、ここにある自分が、どのような経験によってこうなっているのか、を確認する作業ともいえるかもしれないですね。思い出す、という行為よって、過去の何げない言葉、何げないやり取りが、いまの自分の判断基準や指針になっていたりすることに気が付かされる。そんなことをふと考えました。

大先輩であるHさんとは、それぞれに会ってはいますが、3人で集まったことがないですね。そんな機会も、いずれ持てたら嬉しいです。

昨年の12月、退院したばかりの岡田さんに会いに行きました。あの時、僕も一緒に行ったМさんも、岡田さんに直接会えるのは最後かもしれない、という覚悟をしていました。

岡田さんの入院中のこと、退院後の生活のことを聞いたり、企画の引継ぎの話をしたり、それぞれの近況、いまやっている仕事の話などをしながら、僕は、いまとても大切な時間を過ごしている、と感じていました。そして、帰り際にふと、今日こうやって会う時間を作ってくれたのは、岡田さんが僕たちに思い出を作るためだったのか、とも感じました。気も張っていたので、あの日どんな話をしたのか、正直あまり覚えていません苦笑 でも、退院した岡田さんをお見舞いに、励ましにいったのに、むしろ励まされて帰ったことは覚えています。あと、帰り際、玄関まで見送ってくれた時の岡田さんの顔も、とても鮮明に覚えています。

あの時は、自分たちが励まされたこともあって、岡田さんが僕らのために、「思い出」を作ってくれた、と感じていました。それがありがたかった半面、もっと岡田さんは自分のことを優先していいのに、とも思いました。辛さを吐露してもいいし、もっと困ってるから助けて、って言ってくれればいいのに、とも。でも、前回の書簡の「死んでこの世に残せる一番大切なものは、おそらく思い出です」という言葉を見て、そうか、思い出を残すことは、岡田さんの願いでもあるのか、と気がつきました。必ずしも、残される側だけのためのものではないのだなと。

そして、「誰にも思い出されることがなくなったとき、その人は本当の意味で死を迎えるのだと思います」という言葉に対して、その「思い」を形にして残すことができる仕事が、本作りだよなとも思いました。会ったことがなくても、その残された文章によって、人を動かすことができる。一度作った本は、いつ、どんなタイミングで、誰と出会うかわからない。だけど、作ることで、いつか、誰かと出会うことができる。誰かに「思い」を伝えることができる。そういうものを、僕らは作っているのだよな、と。


最後の晩餐ならぬ、最後かもしれない会合を経て、でもその後体調が落ち着いて、連絡も取り合えるようになって、いまこうやってブログで往復書簡ができている。さらには、いま一緒に仕事ができている。これは、会合の頃を思い起こすと、望外の喜びです。

さらには、自著の準備を進めているなんて! その後執筆は順調でしょうか。「思い出すための本」がどのようなものになるのか、楽しみに待っています。ひとり出版社の立ち上げについても書かれるとのことなので、これからもおそらく増えていくであろう出版社を始める人たちにとっても、参考になる本になる気がします。

「いっちょ噛み」の精神はこれからも大切にしていきます。いまも進行中で、いろんなことに巻き込まれつつあります。これからどんなもの、こと、人に出会えるのか、楽しみです。

社長時代の岡田さんの寂しげな顔と背中も忘れ難い思い出です笑 同僚からすれば会社、組織に対する愚痴をこぼしたつもりでも、その言葉のひとつひとつが突き刺さる立場であること。社長時代の岡田さんを見ていて、その「味わい深い寂しさ」は見てきました(といいつつ、僕も刃を立てたことが多々あったと思いますが)。それでも、いずれ、規模を大きくできたらいいな、と。僕はきっと、同僚がいた方が楽しめるタイプなのだと思います。もちろん、現時点ではその道筋すら見えていませんが、野望はきっと、たくさんあった方が良い。


いただいたお題の「1年後の図書出版みぎわのすがた」ですが、正直、現時点で、まったく想像ができません。

ありがたいことに、いまいろいろな企画が進み始めています。企画によっては、2025年刊行予定のものもある。やっと1冊の本が刊行できる、という会社なのに、そういった相談をしてくださることが、とても嬉しいですし、励みになる。そして、何が何でも、その本を出すために、会社をしっかり維持し続けなければならない、と気も引き締まります。ひとり出版社だけど、ひとりじゃない、っていうのは、こういうことか、と実感してます。

だから、1年後の図書出版みぎわの目標は、「当たり前に企画の相談を受けられて、当たり前に本が刊行できて、当たり前に本を売ることができる出版社になっていること」にします。岡田さんの病状が悪化する前のみずき書林のように、メッセージをくれたHさんの会社がいまそうであるように。出版社として自立すること、ともいえるのかもしれません。野望はたくさん、とかいいながら、ひょっとすると、控えめな目標かもしれない。だけど、最初の本がやっと刊行される、という状況の僕にとっては、どうすればそうなれるのか、まだ道筋が見えていません。不安もある。だから、これが実現できるよう、1年間、しっかり仕事をしていきたいなと思います。

あとは、〈みずき書林がやりたいこと〉と重なりますが、本や企画を通してつながった方々と、良い時間を過ごしたい。本が完成して、みんなで喜んで、次の本の相談をする。そういったサイクルが作れたらいいなと。本をきっかけに、人と人とをつなげたい。図書出版みぎわがひとつのハブになって、新しいもの・こと/本や出会いを作れたらいいなとも思っています。


レッド・ツェッペリン、実はちゃんと聴いたことがあるのは1stアルバムだけなのです(友人・知人の音楽好きに怒られる)。これを機に、『Presence』ほか、名盤といわれるアルバムたちを聴いてみようと思います。

僕はここ1週間、ずっとOASISを聴いています。特に、3rdアルバムの『Be Here Now』です。これは中学生の時に、いちばん最初に買った、洋楽のCDアルバムです。駄作、失敗作、といわれることも多いアルバムですが、個人的には好きな一枚です。先日、何げなく家で仕事をしながら聴いていたのですが、アルバム最後、やたら長い「All Around World」の歌詞を聴いてハッとなりました。

All around the world
You’ve got to spread the word
Tell them what you heard
We’re gonna make a better day

All around the world
You’ve got to spread the word
Tell them what you heard
You know it’s gonna be o.k

OASIS / All Around World

この曲、「世界中に、言葉を広げるんだ」って歌ってたのか! と。これから本を刊行するひとり出版社にはピッタリすぎる歌詞でした。まさか、いまこのタイミングで、ノエル・ギャラガーの歌詞に励まされるとは思ってもいなかった(そもそも、永遠の弟キャラ、リアムの方が好き)。この歌詞に気がついてからは、毎日この曲を聴いています。聴いていると、ちょっとだけ、「万能感」に浸れます笑 それまで歌詞を把握せずに聴いていたのか、といわれたらそれまでなんだけど、25年とちょっと年月を経て、この曲と出会いなおせてよかったです。

リアムはいつだって自信満々。OASAS聴いてると、無敵になれる気がする

さて、ひとまず5回と決めた往復書簡も次の復路で終わります。コステロについて書いたブログをスタートとすると、1ヵ月半ほどのやり取りになりました。この最初の投稿は『原爆写真を追う』の版元変更のアナウンスをしたタイミングで、その経緯を伝えたくて書いたブログでした。『原爆写真を追う』の編集もいよいよ大詰め。本の完成は今月下旬を予定しているので、完成したら、届けに行きます。

往復書簡のやり取りをする中で、僕も仕事が進んで状況が変わってきてもいるし、岡田さんも体調が戻ってきています。こうやって『原爆写真を追う』を届けることもできそうで、岡田さんも自著の執筆と新しい企画も進めています。だから、往復書簡の最後に、改めて聞きたいと思います。

岡田さんにとって、「本を作ること」って、どんなことですか?