岡田さんへ
先週はお会い出来て嬉しかったです。調子が良いとは言っていましたが、実際にお会いして、話しぶりや表情を見て、調子のよさが伝わったので、ホッとしました。お会いした際には、あえて話をしませんでしたが、往復書簡も続けることができて嬉しいです。
さて、第2回復路、公開されてすぐに読みました。そして、僕の言葉が足りな過ぎたなと反省しています。「期待」と「回想」について、もう少し丁寧にまとめなければと、数日、あれやこれやこれや悩んでいました。
「期待」は未来を見つめる態度ですが、その時点で、未来に何が起こるのかは、未確定です。有名になりたいとか、お金持ちになりたいとか、未来の可能性に、期待します。いまの僕であれば、10年後も会社を続けていたいとか、あわよくば1冊だけでも大ベストセラーを刊行したいとか、とにかく良い本を多く出したいとか、未来に期待をしています。
一方で、過去を「回想」する時は、確定したものだけが取り上げられることが多い。〇〇年、図書出版みぎわ『人は読んだ本が9割』を刊行、ベストセラーになる、みたいな(例としてタイトル考えたけど、作りたくないぞこの本……)。結果として、『人は読んだ本が9割』という本がベストセラーになった、ということだけが語られ、「良い本を出したい」と思っていた会社だった、という側面は、歴史からこぼれてしまうかもしれない。
だから、「回想」をするとき、確定した過去を見つめるだけではなくて、かつて「期待」したこと、やろうとしていたこと、当時考えていたこと、も含めた歴史を語ることができないか、というのが、鶴見さんの発言の意図でした。「歴史にifは無い」という表現がよくなされますが、むしろ、歴史にifも組み込んだ方が良い、という態度ともいえるかもしれません。可能性の歴史学、みたいな。
だから、岡田さんの「回想」を聞きたい、というよりは、会社をはじめたころ、どんなことを考えたり、やろうとしていたのか、という、「期待」していたことをお聞きしたいなと。加えて、いま「期待」していることも。
少し話が飛びますが、編集の仕事って、形にならなかったけど考えていたこと、やろうとしていたことがとても多い。こんな本が作りたい! というアイデアが浮かんで、企画書をまとめて、それを書き手に相談する。だけど断られる。また企画を考える。その繰り返しともいえます。会社勤めであれば、会社を説得できず、断念することも多くある。多くの編集者が、実現しなかった企画を山ほど持っていると思います。
けど、面白いもので、あきらめていた企画が、ふと、何かの拍子に、また動き出すこともある。梅棹忠雄が書こうとした『人類の未来』は、梅棹が見通した人類の未来が、絶望的に暗かったから、書き上げることができなかった。だけど、それが企画され、構想メモがつくられ、また対談が残されていたから、復元することができた。だから、梅棹の「期待の次元」を組み込んだ本が刊行された。それが、改めて面白い、凄い、と思うのです。
だから、岡田さんが、かつて期待していたこと、いま期待していること、が聞きたい。決断するのは大変だとは思いますが、編集して本も刊行してくださいよ。僕はそれも期待しています。他にも、みずき書林設立当初、実は企んでいたこととか、こっそり目指していたこととかありませんか? 例えば、数年後に会社を大きくする、社員を雇う、みたいなことって、考えたりしたのでしょうか?
ここまでで、なかなか長くなってしまいました。
病気によって失われた習慣があること。それにふとした時に気づき、悲しく、切なくなる。文章を読んで、その痛みが伝わりました。特に料理は、岡田さんにとって、とても大切なものだったと思います。食材を買い、作り、誰かと一緒に食べる。その一連の行為が失われてしまった喪失感は、想像するだけで、悲しくなります。少し前に、病気になって読める本、聴ける音楽が変わったともおっしゃっていましたよね。それも、とてもつらいことだと思います。僕はいま、そのつらさを想像するしかない。想像と実感は異なるので、共感はできない。だけど、そのつらさをせめて、共有できたらと思っています。
僕は2023年現在、39歳で、図書出版みぎわを立ち上げたばかりです。今月、最初の本が完成します。
この状況で何を感じているかと言えば、「世界が少しずつ、開けていくような感覚」です。岡田さんがかつて感じた「万能感」にはほど遠くて、全て自分で決める、という自由を前にして、びくびくしながら、ひとつひとつ、進めている。
その中で、新しい出会いがあり、独立したことで改めて連絡を取り合えるようになった人もいる。出版は狭い世界でもあるので、思わぬ再会もあります。そうやって、世界が広がっていっている感覚があります。そこで実感しているのは、僕は人とのつながりによって本を作るタイプだ、ということ。それは、ここ数年ちょっと失われていた部分なので、またこうやって本が作れる、というワクワクした気持ちは強いです。もちろん、その金策どうするのかとか、考えなければいけないのですが。
いまの状況は、保苅実の「自由で危険な広がりのなかで、一心不乱に遊びぬく」という言葉にひきつければ、「いまその場所に立ってみて、なんとか、見よう見まねで、踊ってみている」。そんな状況です(ちょっと春樹も入ってますね)。
あとは、保刈実がこだわった、実践者であることと、真摯であること。この二つを意識しながら、やっていこうと思っています。
Stingはこれまで聴いていませんでした。ライブの静謐な雰囲気が良いですね。穏やかな気持ちになります。
僕は寒い季節には、なんだかスティービー・ワンダーが聴きたくなります。なので今回のBGMは、デューク・エリントンにサッチモ、エラ・フィッツジェラルドらが、音楽のなかで一堂に会する「Sir Duke」を。「音楽は楽しくなくちゃ」とでも言いたげな、陽気な一曲ですね。