「堀君、blog書けよ。毎日覗いてるんだから」
会うたびにそう言ってくれていた、みずき書林の岡田林太郎さんが、7月3日に亡くなった。
最後に会えたのが6月30日。この日は、退院後の日々のなかで、比較的体調が良かった日だったようだ。30分ほど話をして、少し休んで、また話をして、ということを数回繰り返した。最初は退院後の状況を聴きつつ仕事の話を、それ以降は、もっぱら勉誠出版時代やこれまでの思い出話をしていた。まだ僕がアルバイトで働いていた時期のこと、かつての同僚たちの話、岡田さんが社長になってからのあれやこれや、一緒にやった仕事の話、作ってきた本の話、そして幾度となく行った呑みの場の話。そんな話をする中で、岡田さんもいつものような笑顔を見せてくれた。ずっと、他愛のない話をし続けていたけど、「また呑みに行きたかったな」と岡田さんに言われたときは、ぼろぼろと涙がこぼれてしまった。この日に味わった感情、嬉しさも悲しさも寂しさも、きっと、忘れることはないだろう。
4~5月にかけての岡田さんは、ほんとうに元気だった。岡田さんの病状とか考えずに、「いま全盛期じゃないですか」と軽口をたたいたけど、そのぐらい、充実した日々だったと思う。この時期、僕はみずき書林刊行の『戦争社会学研究第7号』を手伝っていたこともあり、毎週のように顔を合わせていた。岡田さんが進めていた企画のすべてを知っているわけではないけれど、「死んでる場合ではない」ぐらい、やることだらけだった。友人・知人を連れて伺うこともあって、その時も、嬉しそうな、楽しそうな顔をしながら話をしていた。5月末の入院後も、一度、オンラインで開催した研究会で顔を合わせることもできた。入院中でも体調、顔色はよいようで、「入院は暇だ」なんてことも言っていた。でも、その翌週から病状が急変し、連絡も途切れ途切れになってしまった。
勉誠出版時代、本が完成すると、「発送大会」と称して、手が空いている社員数名が会議室に集まり、著者、関係者、マスコミなどへの献本作業を行う恒例の行事(?)があった。完成した本がくるまれた保護紙を破り、皆であーだこーだいいながら本を眺める(たまに、このタイミングで同僚が誤字脱字をみつけ、絶望したりすることもあった)。そして雑談をしながら、1時間ぐらいかけて本の梱包をする。本が完成したという充実感と相まって、僕はとても好きな作業だった。そして岡田さんもきっと、好きな作業だった。だから、「『戦争社会学研究第7号』が完成したら、発送大会をやりましょう」と言っていたのだけど、6月中旬に退院するも体調はすぐれず、大会を開催することはかなわなかった。その後も連絡が途切れがちになったけど、6月末にやっと、会いに行けたのだ。
今度こそ最後かもしれない。お互いにそう覚悟をしつつ、でもまた会えることを祈って、「またね」と言い合い、握手をして、別れた。岡田さんの家を出た後、感情の整理がつかないままに、何度か岡田さんと呑んだ、恵比寿の牛タン屋に入った。岡田さんの好きな卵焼きと、名物の牛タンを頼んで、ひとりで呑んだ。一緒に呑んでる時は時間を忘れるほど楽しく呑んだお店だけど、ひとりだと、30分もしないで食べ物はなくなり、ビールもすぐに飲み終えてしまった。
こんな文章読んだら、岡田さんはなんていうだろう。こんなの、ありきたりで、よくある話で、小説にならん、映画にならん、と言うかもしれない。特に最後がベタ過ぎる、とか。でも、生きる、ということは、そういうものなんだとも思う。ありきたりでよくある話だとしても、その現実を、必死に、真摯に、投げやりになることなく、生き抜くこと。絶望することなく、最後の最後まで、自分に何ができるかを、を考えること。岡田さんはそういう姿を、身近で見せてくれた。最後まで、見せてくれた。
30日に話をしていた最後の方、「堀くん、他に聞きたいこととかあるか?」と言われた。唐突に、でも自然に。仕事の打ち合わせの締めみたいに。この状況で、この人は何を言い出すんだろうと思って、なんだかおかしかった。
聞きたいことなんて、まだまだごまんとあるさ。進めてる企画、もっと意見を聞きたいよ。みずき書林のことも聞きたいよ。音楽の話も映画の話も本の話ももっとしたかったし。元同僚たちとやってる『聖書』の読書会だって、まだ途中だよ。これから僕が図書出版みぎわから刊行する本の感想も聞き続けたかったよ。聞きたいことだらけだよ。なのに、なんか、ひと仕事終えた、みたいなホッとした顔して、岡田さんがそんなことを言ってきたことが、悲しくもあったんだけど、おかしくもあった。ちょっと強がって、しどろもどろしながらも、「なんか聞くことあったら連絡しますよ」と答えた。
いっとき、呑みに行くたびに、無人島にレコードを持っていくなら~とか、宇宙人に音楽を聴かせるなら~みたいな話を、岡田さんと良くしていた。岡田さんがその時何を選んでいたかは、覚えてない(岡田さんごめん)。けど、僕は悩んだ果てに、ビートルズの「ホワイト・アルバム」だと言ったことは覚えている。ビートルズのアルバムのなかでも、一番まとまりがなくて、混沌としたアルバム。曲数も多いし、何度聞いても新しい発見がありそう(だったらベスト盤の赤盤・青盤でいいじゃないか、とか言われた気がする。そうじゃねえんだ、と議論になった気もする)。宇宙人にも地球の音楽の様々な魅力が伝わるに違いない! と思っての選択だ。
そんなことを思い出しながら、数日前にこのアルバムを聴いていたら、誰もが知っているこの曲で、号泣してしまった。岡田さんがいなくても、人生はつづいていく。blogも再開するよ。書き続けるよ。
編集者にとって、一番嬉しいことは、手掛けた本を手に取ってくれることです。以下のみずき書林HPほか、Amazonであれ、書店への注文であれ、気になる本がございましたら、改めて手に取ってみてくださいませ。みずき書林のどの本からも、岡田さんの気配を感じることができるはず。どうぞ、よろしくお願いいたします。